少し横道にそれるが、この辺りでインスタントラーメンに触れなければなるまい。それは、インスタントラーメンの味のよさは、定評であるが、これとて札幌のラーメンとは無縁ではないからである。
昭和三十三年八月、大阪の日清食品KKから「チキン・ラーメン」として売り出されたのがインスタントラーメンの最初である。
創始者は同社社長安藤百福である。
「戦後の食糧不足をアメリカ放出の小麦粉で補い、各家庭では手製のパンを作って食べていた。 しかし、一方外を歩くと焼跡に建ている屋台ではソバや中華ソバを売っていて、人々はそれにむらがっていた。
私は、小麦粉をつかって、屋台の中華ソバよりもかんたん に早く出来るものが作れないものだろうかと考えた。それから、そのことが頭から離れな
いので、折々実験を重ねた。そして苦節十年、ついに“チキン・ラーメン"の発売に踏み 切ることができた。 しかし、一袋三十五円の“チキン・ラーメン"は売れなかった。そこでテレビ
にCMを出した。このCMは効果があった。
昭和三十四年には“母がいなくても食べられるインスタントラーメン"は大いにうけ、同時に急激に売れ出した」 と、安藤は言っている。
この爆発的売れ行きが導火線となって、われもわれもとインスタントラーメンの製造を
はじめた。 いろいろな品名のインスタントラーメンが食料品売場にはんらんした中に 「サッポロ一番」(前橋市サンヨー食品KK)、「サッポロラーメン」(福島県須賀川市井桁屋)と、いった“サッポロ"の名を使った商品も出回った。
当時のサンヨーの東京支社営業課の加納政明は 「試作品ができると、それを持っては飛行機で札幌へ飛び、町のラーメン屋に入っては
ラーメンの注文と同時にお湯を一ぽいもらい、試作品で作った自社のインスタントと、その店のラーメンを食べ比べてみたりした思い出があります。」
と、語っているし、当時、大手のメーカーでは、そのころの名だたる札幌市内のラーメン店に飛び込んでは、その店のラーメンをパックに詰めたり、ひどいのはビニール袋に
そのまま入れて持ち帰ったという。
それは、その頃全国的に評判の“さっぽろラーメン" を分析し、札幌のラーメンの味をインスタントで…、という意気込みだったのだろう。
結果は脂肪、塩分などそれぞれパーセンテージが出たほかにゼラチンも重要な割合いを占めていることにおどろき、さらに五百〜六百カロリーもある食品であることに脅威を感じたものらしい。
本州からやって来た人たちは“たかが中華ソバを油濃くしたものだろう"
くらいに思っていたのに、意外にもゼラチンの検出におどろいたものらしい。 それと、この人たちはもっとおどろいたことにぶつかった。
そのころすでに中央にまで 知れ渡っていた“龍鳳系"“三平系"も分析の結果では差がなかったからである。
インスタントラーメンのうまさは、札幌の名だたるラーメン専門店の味を基に、化学的 に配合したものといっても過言ではないだろう。
昭和三十五年 15,000食
同 四十一年 30,000食
同 四十七年 37,000食
(日本即席食品工業協会調べ)
と、うなぎのぼりに製造量がふえている。
北海道で生産されたのは、昭和三十八年、小樽市の西製麺工場が「ベアーラ,メン」を 出したのが一番早い。
ついで小樽の中野製菓、東洋水産が製造しはじめ、本州ものの大手 四社に負けない売り上げを見せた。本州大手四社とは、1明星食品、2日清食品、3サンヨー食品、4エースコックがそれで、この四社で全国市場の70パーセントを占めたといわれ、これにつづいて東洋水産、ダイヤ食品である。
ついで銘柄であげると@「出前一丁」A「チャルメラ」B「サッポロ一番」C「駅前ラ ーメン」となっている。
道内市場ではこのランクが少し変って、道産品が伸びていた。昭和四十一年の生産量は全国で二十七億五千食という数字が見られる。しかし、四十四年ごろから過当競争時代に入って、六十パーセントが倒産という声も聞かれた。
このピンチを救ったのが海外への輸出である。 インスタントラーメンは保存食であり携行食である。また、うどん、そばと違って歯応えもあって、今日ではスパゲッティ、マカロニとともに世界的な軽食となっているのである。
輸出先は東南アジア、アメリカ、さらにヨーロッパと年々増えているというし、主力 市場は、南ベトナム、香港、マレーシア、シンガポールなどの東南アジア、ついでアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスとなっていて、その数も増えつつあるという。
と、してみると、札幌が生んだ戦後のラーメンの“味"が、世界の軽食といわれ、世界 の人びとに賞味されているといっても過言ではないだろう。(ただし、これはカップヌー
ドルではなしにナべで煮た麺へ粉末スープを溶かす式のインスタントラーメンの事。)今日*1では年間四十億食に近いインスタントラーメンが世界中で食べられているはずである。
(*1この本の書かれた昭和の40年代の終わり頃の数字です )
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