VOL.13 東京産さっぽろラーメン



  前述の通り、昭和三十年十一月、『暮しの手帳』三十二号に、主宰花森安治自ら札幌のラーメンのことを書いた。
 
それが導火線となって、マスコミが一斉に書きたて、ある週刊 誌は「公楽ラーメン名店街」を写真入りで、ある雑誌はコラムで「三平」を、「熊さん」を…、という風で、しかも、それがいつしか「さっぽろラーメン」という呼び名になって いて、札幌名物に一躍のし上ってしまったのである。

 それに加えて昭和三十三年に開発されたインスタントラーメンは次々とメーカーが名乗りを上げ、その商品名に「さっぽろ」や「サッポロ」を冠せて売り出し、そのCMが毎日 テレビの画面に「さっぽろxxxx」とか「サッポロ○○」と映し出されるに及んで、いやが上にも全国的に「さっぽろラーメン」が知られるようになったものである。
 
そうした時も時、昭和三十九年に高島屋が東京店と大阪店で北海道物産展を開催し、その中に「本場さっぽろラーメン実演販売コーナー」が設けられた。
 これには「熊さん」 (大熊勝信)が、生麺を西山製麺に毎日空輸を頼み、みそラーメン一本にしぼって実演販売に趣いた。これは当りに当った。都内でも、大阪でも、「さっぽろラーメンというのはみそ味のことなんだ」と錯覚させるほど強烈にみそ味の特徴を人々の胸に叩き込んだ。
  この時、東京店の会場で天津飯店の調理師が大熊のつくったみそラーメンを食べてみて「これはイケる!」と思った。
 早速、上野に「さっぽろラーメン」の看板で店を開いた。 これが東京での札幌ラーメン一号店であることは前述の通り。
 この一号店が当り出すと、それにつづいて続々と札幌ラーメンの店が出来はじめた。前日までの食堂が看板を「札幌ラーメン」と書き替えたり、ソバ屋が模様替えしてラーメン 店になったり、そんな現象が昭和四十年に入った頃から都内に起った。
 あちらにもこちらにもラーメン店ができたからである。  昭和四十二年、青池保が墨田区両国で“札幌ラーメン"「どさん子」の看板を上げた。
 これが予想外の当りを示した処から、青池はこれをフランチャイズ・システムによる企業化を思いつき、早速製麺工場を建てる一方、チェーン店の募集にかかり、初年度は二十二店、昭和四十三年には百六店に、四十四年には百八十店、四十五年には約三百店とふやし、昭和四十八年には全国で一千店となるだろうと豪語した。
 青池は東京生れの茨城育ち、ラーメン店をはじめる前にも北海道には一度も来ていない。また千店のラーメン店をつくろうとして、着々チェーン店をふやしていながらも、札幌の名だたる専門店のラーメンの味は知らなかった。
 看板でみる限りにおいては、立派な<札幌ラーメン>を業とする企業体の社長であり、全チェーン店の統一した味つくりの責 任者でもあった。しかし、それは都内の<札幌ラーメン>と看板を出している店のラーメンとの比較はなされただろうけれど、本場の味を知らないまま作り上げた東京産札幌ラー メンだったのである。その点ではインスタントラーメンを作り出すに当って、何度も札幌へ飛んで来ては、名だたる専門店のラーメンと食べ比べたり、分析したりしたのとは少し 違っていた。

 昭和四十五年、その青池が江別の岩田醸造を介して、本場札幌にもチェーン店を広めるべく支社を江別市野幌町十ノ二に(四十六年六月)開設し製麺工場を設置した。青池はそ の時のことを東京経済発行の『どさん子商法』でこのように書いている。
 「札幌ラーメン“どさん子"は私が本場の味も知らないで創りあげた独得のものだが、今や全国的には、むしろ私の味の方が一般化している。その“どさん子の味"をもって、 本場の北海道に逆上陸を行なおうとしている。果して私の味が、本場の人たちにどの様に受けとられて行くだろう。 私は、うれしさの反面、恐しきを覚えながら北海道に乗り込んで行ったのだった。  北海道の展開は、その後一応順調に進んでいる。私も肩の荷を一つおろしたような気持だが、私には、北海道進出についても一つの成算があった。 それは前回(昭和四十五年のこと)の訪問に際して、味わった本場“さっぽろラーメン"の味が私の考えていたものと根本的に違っていなかったからである。(後略)」と。

 この青池が北海道に進出し、札幌北国商事株式会社を野幌に置いてチェーン店の拡大に大童に動き出した時は、札幌の業界でも一時は“なぐり込み"と騒ぎはした。しかし、いざフタを開けてみると、そうした騒ぎが杞憂だった事を各自が知った。
 昭和五十一年八月発行の札幌電話帳によると市内には六店しか「どさん子」がないし、そのほか当別に一店 あるだけである。
  札幌北国商事の話によると現在(昭和52年1月)道内三十二店、うち市内が十四店だという。

 札幌市内にラーメンを出す店が三千店あるといわれる中に十四店という数字はさびしい。(チェーン店で「どさんこ」というのがあるが、これは北国商事系とは別)。
 それは やはり本場の味の厳しさということなのだろうか。それと、札幌の人は「札幌ラーメン」とは誰も言わない。ラーメンで通るからだ。それを殊更『札幌ラーメン・どさん子』とし レイレイしく看板あるいはノレンを出させなければならない処に問題がありそうである。
 スタートが東京であろうが、資本が経営者が東京であろうが、今は札幌郊外(野幌)で製麺し、それをチェーン店に出している道産品なのである。  郷に入れば郷に従え、で、道 内のチェーン店の看板だけでも「札幌ラーメン」の文字を削って、他専門店に劣らないラーメンを出してほしいものである。

 ある人は製麺時の熟成には北海道の気温・湿度が最も 適している、といってそれが本州産麺と本道産麺の差のようにいっている。今や(*)進出してから六年目、そろそろ土着の時ではないだろうか。
*札幌ラーメン物語が書かれたのは、昭和40年代当時です。