VOL.12 札幌ラーメン製造協組



 ラーメン店は昭和三十年を過ぎたころから急激にふえ、また食堂でもラーメンをメニュ -にのせ、うまいまずいを別にすれば、札幌市のいたる処でラーメンは食べられた。

 それもそのはず、その頃すでに市内に生麺の製造工場が何軒かあって、毎日動力を使って製造していたのである。

昭和三十三年、宇野製麺所(北区北二十四西四)の宇野賢二が“一軒では力もないし弱い。同業者で組合を作って、みんながよくなる事業でもやろう"と呼びかけた。この呼びかけには賛同する人が少くなく、まず九軒で申し合せ組合を組織することができた。
 
もちろん組合長には宇野賢二がなった。
一柳製麺所
川原製麺所
宇野製麺所
西山製麺
森住製麺所
麺よし堀川製麺
一条橋製麺所
工藤製麺所
渡辺製麺所 の、九軒である。

このうち渡辺、川原の二軒は現在ない。渡辺製麺所の渡辺勝井は故人と なり、廃業しているし、川原製麺所の川原も亡くなり、KK相模屋製麺所があとを継いでいる。

  昭和三十八年、申し合せ組合を法人に切り替え、名称を札幌ラーメン製造協同組合と改め、宇野が引きつづき理事長に任命されている。その後昭和四十二年に堀川寿一が理事長 に就任した。しかし、その在任期間数カ月で他界し、再び宇野が理事長に就任した。それから昭和四十七年まで、組合の長として業界をまとめて来ている。
昭和四十八年からは西山孝之が理事長となり、組合事務所も西山製麺株式会社に置いている。 今日(昭和40年代当時)の組合員は十三軒で
一柳製麺KK
宇野製麺所
KK相模屋製麺所
西山製麺KK
和田山製麺工業KK
(有)麺よし堀川製麺所
(有)森住製麺所
(有)一条橋製麺所
曽根製麺所
竹口製麺所
松屋製麺所
KK工藤製麺所
がそれである。

宇野賢二は昭和二十五年に北二十四西四で宇野製麺所を起し、以後一筋に生麺と取り組んで来た人で、その間、同業者のために組合の必要性を説き、組合が設立されると、その長として十三年間その任につき、時の流れを感じてからは若い実力者(理事長西山孝之)にバトンを渡し、西区のマンションで 静かに閑日をたのしんだ。

 宇野は北海道産の麺のよさについては 「やはり原料ですよ。札幌の人は口がなれているので、最高の粉を使った麺でなければ 承知しないんですよ。
 寒地産のよい小麦は足が強いですが、輸入にたよっていても品不足です。しかし、よい粉を使っているから、こっちのもの(麺)はよいのでしょうね」 と、札幌産の生麺のよさを強調している。