VOL.10 味噌ラーメン誕生_1



 みそ味ラーメンの創始者は「味の三平」の大宮守人である。その発売は昭和三十八年 暮。 大宮にはラーメンの本流はあくまで醤油味と信じていたのであるが、昭和三十年に『リ ーダースダイジェスト』誌上で、世界最大のスープメーカー、マギー社(アメリカ)の社長が、日本の食事に言及して「日本人はミソの効用を忘れていないか」と指摘した一文を 読んで、そのことが常に脳裏から離れなかったらしい。 昭和三十年秋ごろ、「味の三平」には札チョン族や二日酔いの常連がつめかけた。この 客たちはみそ汁に飢えていたので、見かねた大宮は豚汁を作ってふるまった。二日酔いの 客も札チョン族も喜んで食べた。ある日、その中の一人が 「この豚汁の中にラーメンの麺だけを入れてくれ」 と、いいだした。大宮はその客にいわれる通りにボイルした麺を入れてやると、客はおい しそうにして食べた。 そして翌日もやって来 て 「きのうのように豚汁ラーメンを…」 と、注文するのである。 大宮はこの時マギー社 社長の言葉“みその効 用"を思い出し、「これだ!」と心の中で叫 んだ。 それからの大宮は貨屋に通いはじめた。ラーメンに通したみそを探すためである。一種で心もとないときは 二つの銘柄のブレンドもしてみた。 「新しく出すからには、従来からの醤油味に劣らないものでなければ…」 その努力の甲斐あって、新潟産のみそはいけるという確信をもつことができた。しかし メニューにはまだ出さなかった。そこには創案者として慎重さとでもいうべきか、醗酵時 間を置いたと見るべきか。 昭和三十年の夏も終る頃、花森安治がふらりと「味の三平」のノレンを割って入って来 た。その時大宮はメニューにこそ入れていないが自信をもってみそラーメンを彼に出し た。花森安治にははじめて見、はじめて食べるみそ味のラーメンである。それは驚きであ った。

  花森は先に『週刊朝日』(昭和28年1月17日号)に“ラーメンの街札幌"を書いている が、その時のことを自分の主宰する『暮しの手帳』第三十二号(昭和30年11月発行)に書 いた。“札幌ラーメン"という呼称をつくり上げる仕掛人となった訳だ。 そうしたことがあっても、大宮はまだメニューにはのせなかった。日本人には醤油がかかせないし、ラーメンは醤油味と教えられた松田勘七の言葉が耳に残っていたからである。そして、さらにみそ味ラーメンの完成に打ち込んだのである。 また、みそ味の場合はチャーシュウでなくひき肉を使うこととした。チャーシュウはすでに味がついていて、みそ味になじまないという理由であろうか。それからみそそのままの硬さでは、それを溶かすのに手間がかかるばかりでなく、格好がつかない。演出上手の 大宮は、客前でも容易に溶ける硬さに練り直すことも忘れなかった。 そうしてメニューにこそのせていなかったが、常連には時に試食に出したり、知人にも 相談してみた。しかし、そうした人の誰もが 「そんなのは邪道だ、たべる人はいない」 と、けなしたり、ひやかしたりした。そんななかで一人だけ 「これはイケる、早くメニューにのせた方がいい」 と、いった男がいる。大熊勝信である。